お寺の歴史

お寺の起源

お釈迦様の時代にはお寺という概念はなく、一つの場所に定住せずに各地を歩きながら修行をしていました。
しかし、インドでは雨季になると生き物が活動的になり、虫などを踏んで殺してしまうということが起こってしまい、
これが「殺生を行わない」という戒律を犯すことになり問題となりました。そこで雨季の間は無益な殺生を行わないために
外に出歩かないよう、一時的に定住するようになりました。このための住居は各地の支援者から寄進されたものであり、
そこには居住スペースだけでなく、修行の場も造られました。これがお寺の「僧坊」の原型だといわれていて、
時代が進むにつれて一時的な住居から定住の場となり修行者の場へと変化していきました。

お守りの起源

遡ること1500年、日本は初めて感染症の大流行に見舞われました。
その感染症とはあの有名な「天然痘」のことであり、遣新羅使によって持ち込まれたといわれています。
その天然痘が九州北部から畿内へ、そして全国的に広まり、多くの命を奪っていきました。
その後、天然痘をはじめとする原因不明の感染症は疫病と呼ばれ、人々が恐れおののく存在となっていきました。
790年の秋から冬にかけて、長岡京および畿内にわたり天然痘が激しい勢いで蔓延し、病に倒れる者が続出しました。
長岡京旧跡ら「蘇民将来之子孫者」と墨書された小さな呪符木簡が出土しており、当時はこの呪符木簡を携帯することで、
厄難を逃れようとしたのではないかと考えられています。この呪符木簡は医療行為もない時代において、
死の不安に駆られた人々にとって恐ろしい疫病を駆逐してくれるものだったと考えられ、これがお守りのルーツだといえます。

御朱印の歴史

そもそも御朱印とは、「書き写したお経を奉納した証」として授与されるものでした。
四国などで御朱印を納経印(のうきょういん)、御朱印帳を納経帳(のうきょうちょう)と呼ぶのはそのためです。
庶民も旅が許された江戸時代、参拝が旅の目的となったことで、寺の周辺は観光地として多くの人が訪れるようになりました。
その後次第に写経の証としての御朱印本来の意味は薄れ、参拝するだけでもいただけるようになります。