「奇跡の一本石垣」飯田丸

飯田丸について

飯田丸(飯田丸五階櫓)は、「奇跡の一歩石垣」で知られている熊本城本丸の南を守っていた場所です。
小さな城のように独立したつくりであることも特徴です。
この飯田丸で重要な役割を果たすのが、
飯田丸の南西隅にある飯田丸五階櫓(ごかいやぐら)。
西南戦争前に陸軍により破却されていましたが、2005年(平成17年)に木造復元によって再建されました。

飯田丸の地震による変化の過程

地震前の飯田丸

飯田丸は南西隅にあった櫓です。名将、加藤清正が、築きました。
「飯田丸」の名前は加藤清正の重臣のひとりである「飯田覚兵衛」が預かっていたことからつけられました。
平成17(2005)年に木造で復元されていますので、とても雰囲気があります。
見た目は3階建てですが中に入ると5階建てとなっています。
五階櫓ではありますが、上がれるのは3階までです。 当時も上層階は見張りのためにだけ使われていました。
この飯田丸五階櫓は防衛面でも重要な役割をになっていました。

地震後の飯田丸

飯田丸五階櫓の石垣は、平成28年4月14日、熊本地震の前震で石垣の南面の約80石が崩落しました。
続く本震で南面と東面の約500石が崩落しました。
角の石垣(隅石すみいし)のみで建物を支えていたため「奇跡の一本石垣」と呼ばれました。
櫓は前例のない工事で倒壊を防ぎ、崩落石垣をすべて回収しました。
櫓は再利用に向けて解体され、一本石垣も撤去されました。
飯田丸五階櫓での石垣復旧工事は、櫓の再建も含め2028年度中の工事完了を目指しています。

工事中の飯田丸

飯田丸の修復工事は、2022年7月から始まり、熊本地震から6年半たった2022年10月、約1,700個におよぶ飯田丸五階櫓の石垣を積み直す作業が始まりました。
そして2023年8月24日、いよいよ最後の石材の積み直しの日を迎えました。
飯田丸の石垣の中でもひときわ大きな石がクレーンでつられ、“奇跡の一本石垣”と呼ばれた8段12石の石材のうち、重さ約1トンの最後の1石が元あった場所に下ろされました。

復興後の飯田丸
(地震前の写真)
  ※復興完成イメージ像

 

今では石垣は復興し、櫓本体の再建工事を予定しています。
現在、櫓本体は取り除かれて石垣だけとなっています。
今 熊本城は、9:00~17:00(最終入園16:30)
  ※天守閣の入場は16:30まで観光することができます。
 入園料は、高校生以上  800円 (640円)
      小・中学生  300円 (240円)
      未就学児   無料     とななっています。
 

   

まとめ

 

今まで熊本城という大きな枠でしか 考えたことがありませんでしたが、
今回の学習をしたことによって、熊本城のよりディープなことを知ることができました。
石垣の歴史や、修復工事の方法について知ることで、以前よりも熊本城に関心を持つことができました。
熊本城には、飯田丸五階櫓の他に「平左衛門丸(へいざえもんまる)」や「数寄屋丸(すきやまる)」、「東竹の丸(ひがしたけのまる)」などまだまだ研究してみたい場所が多くあることもわかりました。
飯田丸の工事が完了したら熊本城に行き、さらに探求してみたいと思います。

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熊本城(飯田丸)