室町への誘い

室町時代の概要

室町幕府の初代将軍・足利尊氏は、もともとは鎌倉幕府の役人であった。幕府と溝ができた頃に後醍醐天皇が倒幕の兵を募ったので、彼は天皇側に寝返って倒幕を成功させる。 その後天皇ともすれ違いを起こし、弟の直義(なおよし/ただよし)や部下を守るために挙兵。天皇は京を追われたが、奈良県吉野に逃れて南朝を開いた。これが南北朝時代の始まりである。一方の尊氏は北朝の天皇に征夷大将軍に任命され、1336年(1338とする説もある)に室町幕府を開いた。
約240年間続いたこの幕府は、足利義昭(よしあき)の時代に滅亡した。義昭と対立した 織田信長によって 滅ぼされたのだ。あまり取り上げられることはないものの、南北朝時代・戦国時代も含んだ、人間ドラマに彩られた時代である。 金閣などの有名な建築物や、茶の湯などの現代に残る文化も多く生まれた。

愛すべき将軍たち

観応の擾乱(かんのうのじょうらん)

足利尊氏とその弟の直義は、仲が良い兄弟であった。当初の幕府運営においても、軍事を兄が、政治を弟が動かす両将軍として活躍していた。兄が、弟の健康を神社に祈っていたという逸話もある。 しかし家臣たちが「将軍が2人なんて!」と文句を言ったせいで、兄弟の意思とは関係なく戦いが始まってしまう。
南朝側についた直義は、尊氏とその息子義詮(よしあきら)の挟み撃ちを受けて寺に幽閉された。 その後直義は「急病」で亡くなったが、太平記という軍記物語には「尊氏が毒殺した」と記されている。 真相は未だ闇に包まれているが、兄弟は悲しい結末を迎えることになってしまった。

義満と義持

足利義満は、室町幕府3代目将軍である。 義持(よしもち)は彼の長男であり、4代目将軍だ。
義満はいつも次男の義嗣(よしつぐ。義持の異母弟)ばかりを可愛がっていたため、 義持との関係性は悪かった。また義持の母慶子(よしこ)も冷遇されており、彼女が 亡くなったときにも義満は悲しまず、その翌日に宴でお酒を飲みに飲んだという。また義持は9歳で将軍職を継いでおり、 父に実権を握られた状態で成長している。そういったことも、親子の確執に関係していると言われる。父の死後 には、「勘合貿易の停止」「父が建てた建造物を金閣を除いて破壊」など、父 に反抗し朝廷と仲良くする姿勢を貫いた。

くじ引き将軍

6代目将軍の義教(よしのり)は、4代目義持の弟である。兄が後継を指名しなかったため、 くじ引きによって選ばれた。
義満のような政治を目指して勘合貿易を再開し、積極的に政治に参加した。当時は延暦寺や地方の武士が暴れるなど問題が山積み だったので、天皇から治罰綸旨(じばつりんじ 敵の討伐を天皇に認めてもらうこと) を授かって解決しようとした。幕府はこれによって順調に敵を倒したが、彼は次第に、日常生活でもこれを行うようになっていった。 料理や振る舞いに文句をつけて暴力をふるう様子に、人々は恐怖した。後に暗殺されたが、居合わせた人の多くは彼に味方しなかった。

まるっとわかる!室町年表

※年号は、諸説ある場合や定義が曖昧な場合があります。ご了承ください。
年号主な出来事
1336 室町幕府が誕生
1349観応の擾乱
1352直義が死亡
1358義詮が2代目将軍に就任
1368義満が3代目将軍に就任
1369明が倭寇の禁止を要求
1378義満が花の御所に移る
1392南北朝が統一される
1394義持が4代目将軍に就任
1399金閣が完成
1402義満が倭寇を禁止
1404勘合貿易が開始
1423義量が5代目将軍に就任
1428正長の土一揆が起こる
1429義教が6代目将軍に就任
1441義教が誅殺される
1442義勝が7代目将軍に就任
1449義政が8代目将軍に就任
1457コシャマインの戦い
1467応仁の乱が始まる
1473義尚が9代目将軍に就任
1477応仁の乱が終わる
1490銀閣が完成
1490義稙が10代目将軍に就任
1494義澄が11代目将軍に就任
1508義稙が12代目将軍に就任
1521義晴が13代目将軍に就任
1543鉄砲伝来
1546義輝が14代目将軍に就任
1549キリスト教が伝来
1568義栄が15代目将軍に就任
1568義昭が16代目将軍に就任
1573室町幕府が滅亡

室町幕府のTopたち

三管領

鎌倉時代における執権のように、室町時代にも将軍の補佐役がいた。 もともと執事と呼ばれていた役職を、管領(かんれい)と改めたものである。。斯波(しば)氏・細川氏・畠山 (はたけやま)氏の3家が、交代で管領の任にあたっていた。これを三管領という。 高貴な家柄のものが管領を務めたこともあり、彼らは「将軍の補佐」には収まらない ほどの権力、影響力を持っていた。それが祟って、争いごとを起こす、または 大きくする原因を作ってしまうことが多い。

四職

ししき/ししょく。三管領に次ぐ要職で、侍所の所司(長官)を務めた山名氏・ 一色(いっしき)氏・赤松氏・京極氏の4家を指す。 侍所は室町幕府の軍事指揮権を持ち、京都の警察と税の徴収を職務とする役所である。 三管領とともに幕政を担ったが、6代将軍の義教を赤松氏が討つなど、 波乱を巻き起こしている。